こんにちは、ちょめです。
顔が赤いことを指摘されるの、傷つきませんか?
現在は傷つきたくなくて極力自衛するようになりましたが、過去に何度も顔が赤いと言われてその度にすごく落ち込んでいたことがありました。
私は酒さなんですが、酒さであることを受け入れるまでは特に辛かったな。
いまでも自分ではたいしたこと無いと思って外へ出ているときに顔が赤いと言われると、すごく悲しいというか、うわーやってしまったー(自衛を忘れたという意味で)という気分になります。
今日はそんな悲しい気持ちや嫌だなという気持ちについて書きたいと思います。
指摘されたときの気持ち
顔が赤いと、『顔赤いね~』と言われることがあります。
寒暖差や食べたもの、話が盛り上がったり笑ったあとなどってどうしても顔がほてりやすいです。
そんなときに『顔赤いね~』って言われると、
お願いだからいちいち指摘しないで……そんなの分かってるよ…ってイラっともしますが、
なにより「やっぱり赤いんだ」「隠してるつもりだけど目立つんだ」とショックです。
それからその人と話すたびに、今自分の顔どうなってるんだろう、赤み目立ってないかなと不安な考えがよぎるんです。
自分で思うのと他人から指摘されるのは重さが違う
普段から自分の顔を毎日見てるので、赤いと思うことは日常茶飯事ですが、自分自身で自分をどうにか落ち着けようとして日々気持ちの均衡を保とうとします。
こうすれば大丈夫かな、そんなに目立たないはず、って自分で自分をどうにか安心させようとしてるというか。
それを他人に指摘されると自分で思うのとは違うレベルでショックですよね。
顔が赤いと指摘するのは悪くないと思ってる
私が顔の赤みに悩みだした頃、中学生だったんですがメイクもしていなかったので外見的に赤さが最も目立っている時期でした。
自分でも十分気にしていたんですが、親戚のおじさんに直球で顔の赤さを指摘してくる人がいました。
よく遊びに行く家のおじさんだったので、少なくとも月に1度はおじさんの在宅と重なって会う機会がありました。
その叔父さんは、会うたびに『顔真っ赤だな~!』と皆の前で言うので余計に私の顔は赤面して赤くなり、それをフォローする他の人の会話も気まずくていてもたってもいられなくない気持ちでした。
段々とその叔父さんと会うのが怖くなり、しまいにはおじさんがいるかもしれないその家での集まりに行くのがすごく怖くて避けるようになりました。
今でも会うときは緊張して身構えます。
その頃のことを思い浮かべるたびにムカムカしてくるので、もう無いとは思いますがもしもまた言ってくることがあったら、とてつもなく反撃する!
こんなこともあんなことも言ってやるんだ!
なんて想像したりしますが、きっとそんなことは言えないんだろう私です。
その叔父さんのように、悪気なく人の弱みを人前で指摘する人っているんですよね。
その叔父さんの息子は私と同年代ですが、体質的にとても早くに髪の毛が少なくなってしまったんです。髪が薄くなるのなんて体質だし望んで薄くなる人なんていません。
本人がそのことを口にしないのであれば、まだ受け入れてないんだと想像するべきです。
当然誰もそのことを言う人はいませんでしたが、叔父さんもそのことについて皆の前で発言することは一度も見たことがありません。
息子の毛のことは言うべきでない(皆の前で)とは分かって居たのでしょう。
息子は傷つくと分かっていても、肌が赤くなる病気があるとは知らなかったのでしょう。
そして指摘されたときに反論できないほど、見た目コンプレックスって心が弱くなってることを知らないのでしょう。
言われなくても知ってるのでいちいち言わないでほしいですね。
さいごに一言
ということで、赤ら顔のことを指摘されるとイヤだよねっていう話でした。
この記事を書きながら、『あー私は自分自身ではだいぶ許容できてきてるつもりだったけど、まだ私は他人から指摘されることについては乗り越えられてないな』と感じました。
自分でも許容して、他人からもありのままを見られてもいいんだって思えるときってくるのかな~と思います。まだまだ長そう。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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