通いきった!私が酒さで肌が荒れても休まず中学校に通えた2つの理由

酒さ

こんにちは、ちょめです。

 

顔が赤いと誰とも会わないでずっと暗い部屋に居続けたいと思ってしまうことがあります。

私が顔の皮膚が赤くなる進行性の皮膚疾患である酒さに中学生の時になり、顔が真っ赤な風船のようになった状態で中学のほぼ3年間を過ごしました。

今考えると絶対にできる気がしないようなことですが、当時は3年間風邪での病欠以外は休まず通いました。

この記事では、見た目にも敏感になる多感な時期の中学生時代に真っ赤になった顔でも休まず学校に通えた理由について書いてみようと思います。

そういった年頃の肌トラブルを持つお子さんがいる方がいるかもしれませんが、乗り越える1つのヒントになればなと思います。

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他では見たことがないくらい赤くなっていた私の肌の状況

酒さは顔の一部の皮膚が赤くなり、その範囲が徐々に広がります。

左右対称にできるのが特徴で、鼻横から始まった赤みは次第に左右対称に両頬全体へ広がりました。

バスケ部で毎日のように走り回っていた生活だったので、赤い肌がさらに赤くなり、まるで真っ赤な風船状態。

赤いところと赤くないところはくっきり線を引いたように分かれていたので、まるで両頬に赤いマジックで円を描いて塗りつぶしたようでした。

それでどれくらい赤かったか分かって頂けるかと思います。

中学生ということもあり、ニキビができている同級生は多々いましたが、そんな風に顔が赤くなる人は他の学年含めて他に見たことがありませんでした。

そんな状況で3年間通い続けられた理由

両頬に真っ赤なシールを貼ってるような状態だったら普通は隠したいと思うのが普通です。

でも当時中学生で厳しい部活に入っていたため、メイクで隠すなんて選択肢はありませんでした。

そんな状況で3年間心が折れずに学校に通い続けられた理由は2つあります。

そこまで絶望してなかった

これが1番大きかったと思います。

当時異様な肌の赤さ・赤くなり方をしていた私の顔に対して私はすごく気にして嫌でしたが、絶望はしてませんでした。

絶望というのは、良い未来が見えないことで望みが絶えて起こるものです。

私は自分の顔の赤さが将来に渡って続くとは思ってなかったし、一過性のものだと思い続けていたので絶望感はまったく持っていませんでした。

もしそれが一生とは言わなくてもずっと続くものであると理解した瞬間、自分の顔の赤さが周りにいる同年代の子達を違うものなのだと感じ、一気に恥ずかしさ、隠したい気持ち、そして絶望の気持ちに襲われただろうと想像します。

隠すことが出来ない中で集団生活を送らなければいけないまだ幼い中学生には、自分の肌の状況の深刻さを理解するには精神的に耐えられないかもしれません。

絶望してなかったから3年間通い続けることができたの思っています。

行かなきゃいけないと思う場所があった

先ほども書いたとおり、私は部活でバスケット部に入っていました。
伝統的に強い学校だったので練習量も多く先輩後輩関係も厳しい部活。

あまりに練習が苦しかったこともあってか、私はバスケ自体は全く好きではありませんでした。

毎日の練習をこなすのがなぜか仕事のような感覚で、今日は○○曜日だからこういう練習内容をとにかくこなして1日を終わらせるんだという、自ら参加しておきながら毎日が嫌々で憂鬱と戦うという、実に意味不明の部活動生活でした。

毎日練習が憂鬱で学校全体で部活動が休みになるテスト週間が嬉しくてたまらないのです。

それでも続けてたのは周りの仲間との連帯感でやりきるという気持ち以外はなかったと思います。

とにかく3年生の夏になって部活を引退するというところがゴールになっていて、そのためには休んで部活を断念できない、日々の積み重ねで参加しないと自分もゴールできない、そんな気持ちでやり遂げたいだけの想いでした。

それがあったので、酒さがあるから学校に行きたくないと考える前に「練習休めないから行く」と考えるようになってたのである意味休んでしまいたいという弱い心が前に出れなくなってた状況だったのが通えてた要因だったのは大きいです。

きっと自分の中で「やり遂げなければいけないもの」が無かったとすれば何かのきっかけで学校を休んでしまったかもしれないです。

子供にとっては勉強が仕事なんて言ったりしますが、勉強でも部活でも何かの製作でも友だちの側にいることでも、自分はそこに参加するべきでやり遂げなければいけないんだっていう自分に課した責任みたいなのがあることは大切になってくるなと思います。

最後に一言

2つ目に書いたようなこと、その子にとってのやり遂げたいものとかっていくら家族であっても思うようにできない部分ですよね。

私自身やりたくないことは絶対やりたくないと思うような子供だったので、親に進められてスポーツをやるとか絶対にできなかったと思います。

1つ目の「絶望しない」というのは当たり前のようで子供の心にとってすごく大事な事だと経験した上で思うので、乗り越えるヒントとしてもらえたら嬉しいです。

顔が赤くなることで苦しんでる本人やその周りの人が少しでも気持ちが楽になれたらなと思っています。

ここまでお読みくださりどうもありがとうございました!

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