こんにちは、ちょめです。
私は膠原病を患ってしまい去年から定期的に通院をしているのですが、先日そこの先生と酒さについて話す機会がありました。(膠原病についてはまた別の機会に書こうと思います。)
私は先生に、酒さについては良くなってはいませんが、かなり昔からのことなので、今現在はどうにか折り合いをつけて付き合ってるような感じです、というような事を言いました。
膠原病の担当医は女性で、幸いなことに酒さに対してとても関心と理解を持ってくれ、よく話を聞いてくれるので色々なことを話しやすいです。
ある意味、皮膚科の先生(男性)より酒さについて話しやすいかも。
後になってぼんやり先生との会話を思い返していたら、私も酒さのことを気持ち面も含めて色々話せるようになったんだなぁと、うまく言えませんがそんな風に思ったのでした。
久しぶりに酒さになった頃の事を人に話したら、なったばかりの当時の気持ち面のことをよく思い返しました。
なので今回は、酒さになったばかりの頃に私が怖かったことについてをテーマに書こうと思います。
もし良かったら読んでみてくださいね。
酒さになったばかりのことに怖かったこと3つ
当時、それまで何ともなかった肌が酒さというよくわからない疾患に罹り、時間が経っても一向に良くならない。
健康面において、治らない症状をこれまでの人生経験したことがなかったのでとても混乱しました。
その中で精神的に怖かったことはいくつかありました。
人に顔の赤さについて何か言われることにとてもストレスを感じていました。
「顔が赤くなってるねー」や、心配して親切心から母を通してなにかを紹介してきたりされるのが、
何も言わなくても顔が赤いと思って私の事を見ているのだと感じすごく怖かったです。
特に大人のほうが何か言ってくることが多く、発症当時まだ子供だった私は他人の大人と話すことにすごく緊張するようになったのを記憶しています。
酒さになったばかりの頃は、年々顔の赤い部分が広がっていきました。
毎日鏡をみては赤い部分の範囲を確かめていましたが、少し前までは普通の肌の色だった部分が、酒さの赤みのある肌の範囲に飲み込まれていくことに落ち込む日々でした。
一体どこまで広がってしまうんだろう…?
それが分かればまだ良いのですが、もしかして顔の全部分に広がるのではないかと、とても怖かったです。
きっと酒さになったばかりの方や、現在酒さが広がっていってる段階の方は、とても怖いんじゃないかと思います。
皮膚が赤い部分は、赤いだけでなく吹き出物もよくでます。
これは酒さの症状の1つで、段階によって出る人と出ない人がいますが、私は割と初期から吹き出物が多く出ました。
そしてそれに対する直接的な対処法は、病院で処方されたニキビ薬のみでした。
その頃はダラシンTゲルが1番多かったかな。
一生懸命忘れずに薬を塗ってますが、結局効いてるのか効いてないのかわからないような状態でした。
自分にとってマシな状態でいたい日に、吹き出物、赤み共に最悪の状態で迎えないようにコントロールすることは基本的に難しいので、イベントは怖かったです。
長い時間を経て恐怖は変化し気持ちが追いついていく
酒さになったばかりの頃、このような事が怖かった日々でした。
それから20年以上経った今、以前怖かったことについての今の気持ちはどうなのか?
私の答えとしては、酒さの状態はさほど変わらなくても、気持ちは当時と同じではなく楽になっていますよ。
もちろん誰かに酒さのことを指摘されたらやっぱり少しはがっかりすると思いますけれど。
それでもそこまで気にしないと思えるのは、仕方ないかなーと自分のことを納得というか、ある意味諦めがついたというか。
綺麗に言えば乗り越えたって言うのでしょうが、乗り越えたとは違う気がします。
とにかく当時感じていたような、怖さはなくなりました。
人によって症状も気持ちも違うと思うので同じとは限りませんが、きっと時間が経てば状況は変わるので、今怖くてしょうがないなと思っている人もずっとずっと同じ怖さが続くわけではないから大丈夫なんじゃないかな。
もしかしたらここから20年先には治せるようになっているかもしれないしね!
さいごに
酒さになった当初私が怖かったことについて書いてみました。
人の気持ちは目に見えるものじゃないから、なかなか同じ気持ちを持った人と共有もしずらくて苦しいですよね。
こんな事を感じて苦しかった過程を持ってる人がいるよと少しでも励みにしてもらえる人がいたら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
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